木次線の歴史

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【うんちく13】木次落合線鉄道起工式祝辞(経過報告)

木次落合線鉄道起工式祝辞(経過報告)

大正12年より工事が着手されることになった「木次備後落合線(当時)」

木次落合線鉄道起工式祝賀会における絲原武太郎氏の経過報告全文です。

簸上鉄道開通祝賀宴(当時の新聞紙面から)

 

『茲ニ木次落合線鉄道起工式祝賀会ノ開催ヲ機トシ、同線路ニ関シテ其既往ノ経過概要ヲ報告スルヲ得ルワ深ク光栄トスル所ナリ抑々我地方ノ始メテ陰陽連絡鉄道ノ敷設ヲ企画セシハ遠ク明治二十五年ニ在リ、当時旧山陽鉄道ノ有志ト謀リ松江広島両市ヲ連絡スルノ目的ヲ以テ大社両山鉄道会社ヲ設立シ、既ニ線路ノ実測ヲ終リ政府ノ認可ヲ得ルニ至リタルモ、不幸ニシテ偶々二十七八年戦役ニ会シ財界ノ大打撃ヲ被リ中途解散ノ己ムナキニ終レリ、爾来星霜幾タヒカ換ルモ亦其企画ノ機ヲ得ス、中国脊髄山脈ニ近キ一帯ノ大宝庫ハ唯南ニ三次広島間ニ於ケル芸備鉄道ヲ、北ニ木次宍道間ニ於ケル簸上鉄道トノ敷設ヲ得テ、僅ニ両偶ノ一部ヲ開発シ之ニ満足セサルノ状態ニ在リキ、遺憾何ソ堪へンヤ、而モ芸備・簸上両線ノ営業ハ常ニ頗ル順調ナル成績ヲ保ツト、鉄道未設ノ地域益々交通ノ不便ヲ痛感スルニ至リタリトハ、此両線ヲ連絡シテ陰陽交通ノ最捷タラシメント欲スル者愈々切ナルニ至レリト雖、如何セン其巨資ヲ要スル容易ニ民間ノ企画ヲ許サ、ルヲ
是ヲ以テ乎、大正七年両鉄道会社ハ倶ニ鉄道院ニ対シテ右両線ヲ連絡スル鉄道線路ノ実測ヲ請ヒ、次テ大正八年一月貴衆両院ニ其線路ノ敷設ヲ請願シタルニ、幸ニ其採択ヲ得タリ、是レ実ニ木次落合線ノ実現ニ始メテ多少ノ曙光ヲ認メ得タル第一歩ナリキ
此曙光ヲ認メ得タル関係有志ハ豈奮躍一番セランヤ、同年五月一市六郡ノ有志三百五十余名島根県仁多郡横田村ニ会合シテ、本線ノ速成ヲ政府ニ請願スルコトヲ決議シ、同時ニ期成同盟会ヲ組織シテ協戮目的ノ貫徹ニ努力スヘキヲ誓ヒ、続テ同年六月沿線一市七郡ノ有志一千三百五十三名ノ連署ヲ以テ、総理大臣及ヒ鉄道院総裁両閣下ニ請願セリ、此ノ如クシテ他方更ニ松江市及ヒ関係各郡ニ於テハ、市会及ヒ郡会ノ決議ヲ経テ其急設ヲ政府ニ請願シ、松江・広島両商業会議所亦各々総会ヲ開キテ同シク政府ニ請願スル所アリ、一斉ニ地方ノ実情ヲ具陳シテ本線敷設ノ急要ヲ訴ヒ熱誠其実現ヲ期セリ、幸ナル哉鉄道院ニ於テモ亦夙ニ本線敷設ノ必要ヲ認メラレタル者ノ如ク、同年六月横尾技師一行ヲ派遣シテ其線路ノ測量ニ着手セシメ、一行ハ先ツ簸上鉄道ノ終点木次駅ヨリ二三ノ比較線ト共ニ其測量ヲ終リシカ、尋テ同年十一月ニ及ヒ帝国鉄道会議ハ遂ニ本線敷設ノ事ヲ決議シ、後閣議ヲ経テ翌十月所謂原内閣ノ全国鉄道十年計画ノ下ニ、新線ニ十六線路卜共ニ第四十二帝国議会ニ提案セラル、ニ至レルハ実ニ盲亀ノ浮木ヲ得タルノ感アリキ、然ルニ不幸ニシテ同議会ハ忽チ解散セラル其確定ヲ見ルヲ得サリシハ遺憾限リナカリシト雖、更ニ翌大正九年七月第四十三帝国臨時議会ニ再ヒ提出ヲ得テ無事貴衆両院ヲ通過シ、本線延長三十三哩、工費一千三十六万円ヲ以テ大正十二年度ヨリ着手シ、同十八年度完成ノ事ニ確定シ、続イテ勅令ノ公布ヲ見ルニ至レリ、而モ爾来有志ホシバシ上京シ其急速着手ヲ請願シテ倦マス、嚢ニ第四十六帝国議会ニ於テ亦本年度予算及ヒ総工事費予算額一千百七十三万一千円ノ確定ヲ得タレハ、其起工既ニ目捷ノ間ニ迫レリ、欣喜何物ヲ以テ能ク之ニ比センヤ
顧ミレハ、大正六年始メテ本線敷設企画ヲ起セルヨリ年ヲ閲ミスルコト七年、内閣ノ更迭ヲ経ルコト四回、而シテ是カ為上京セル事実二十八回ニ及へリ、其間原前首相閣下ヲ始メ時ノ内閣大臣、及ヒ石丸次官閣下並ニ各局長閣下以下各位ノ声援庇護ニ頼ル者極メテ深大ニシテ、其他本県選出衆議院各位及ヒ諸彦ノ懇篤ナル指導援助ト周到ナル斡旋トハ、今日ノ慶福アラシメタルニ最モ力アリシフ鳴謝セサルヲ得ス、殊ニ原衆議院議員ノ、数年間本線ノ為終始一貫公私ノ便ヲ供セラレタルハ特ニ感銘惜ク能ハサル所トス 茲ニ本線ノ経過概要ヲ報告スルニ当リ、満腔ノ誠意ヲ披瀝シ謹シテ閣下並ニ各位ニ感謝ノ意ヲ表スト云フ』

大正十二年五月一日  木次落合鉄道線起工式祝賀会  会長絲原武太郎(雨川絲原家文書)  ~木次町誌から

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