木次線の歴史

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【うんちく16】下久野隧道工事記念寫眞帖

下久野隧道工事記念寫眞帖

鉄道省直轄工事として、木次線第2工区「下久野隧道(現 下久野トンネル)」完成時には、工事に携わった「久野労働團」発刊の写真集「下久野隧道工事記念寫眞帖」が出版されました。(昭和7年6月竣工)

その寫眞帖を抜粋し紹介します。

~以下、「下久野隧道工事記念寫眞帖」から

 

木次線下久野隆道工事概要

木次線は山陰本線宍道駅より分岐する私設簸上鐵道の終点木次駅を以て起点とし、広島縣比婆郡八鉾村落合に至る約53kmの延長を有し、落合に於て三神線に通じ、陰陽の連絡と雲南富源開発の使命をもった重要路線であります。大正12年5月1日銭道大臣臨席の下に仁多郡三成町に於いて盛大なる起工式を挙げ、直に實測に着手しましたが、関東大震災の影響を受け一時中止の厄に逢ひ、越えて昭和2年に至り木次三成間の測量を終り、同年12月25日、第2工区に在る下久野隧道の掘削より工事は開始されました。

下久野隧道は北口が木次起点12kmと219mに至り、延長2,241m、仁多大原両郡境の山脈を貫〈ものであります。此の工事は銭道省直轄を以て施工せらるるものでありまして総工費予算133万円、竣工期間は約3ヶ年間のち昭和6年3月31日の予定であります。坑内の勾配は木次方面より、40分の1の上りとなっています、型式は新中間型、掘削方法は新墺式又は上部開削式を採っていります。坑口附近の土工等を終って掘削に着手しましたのは昭和3年6月14日でありました。それから昭和5年7月14日に至る満2ヶ年1ヶ月間の進行は、底設導坑が2kmと147m、1日平均2.9mの進行になります。

それから隧道外の本線切取や築堤等の土工も今日では既に大部分出来上り、久野川に架する第10両、第11両橋梁の樗脚も竣工しています。下久野停車場は、木次起点10kmと240mの地点を中心として設置してあります。これらの工事に使用する一日の出動人員が約500人であります。その中のいわゆる部屋人夫が300人余、地方の農村から出働する者が180人余居ります。部屋人夫は4つの公認飯場に収容し、なお非公式の下飯塲拾軒余と附近の民家に借家した家族持が約90家族あります。

付近農村から通勤するものは打って一丸となし「久野労働團」と称する團体を組織しています。これが詰所と團員及び團員相互間の機関でありまして、前にもある通り180名の團員を擁する一大勢力であります。この工事に要する材料は、砂及木材等を地方商人から購入する外、セメント某他の雑品は、木次駅並に大東町駅に設置された省倉庫から貨物自動車2台によって下久野受入倉庫迄運搬し、受入倉庫坑口間は軽便軌道によって運んでいます。

次に各現場の作業を見ますと、坑内の穿孔にはすべて削岩機をもちいています。これには、サリバンDX61台、サリバンDP3,312台、足尾式11番10台、アトラスサイクロープMAV55台、の4種類がありまして、動力には何れも圧縮空気を使用しています。圧縮空気は、動力所内に設備したサリバンWJ3エアーコンプレッサー2基を以て坑内に送ります。削孔後火薬にて爆破した岩石(石屑)は、アームストロングショベローダーによってトロリーに積込み、これを郊外に搬出するには、底設導坑内は蓄電池機関車2基をもって牽引し、覆工既成部分は架空線式電気機関車1基をもってし、坑口より石屑捨場に至る間は、ガソリン機関車2基にて運搬しています。なお、これ以外に覆工諸材料を搬入するために電気機関車1基を用い、受入倉庫より坑口に至る軌道は、ガソリン機関車1基を以て材料運搬によっています。

工場設備としては錐鋼を修理する鑿鍛治工場、工具修理のために修理工場、木製工具製作修理には木工場、製材工場、砂利製作のために砕石工場があり、ジョークラッシャー1基をもって、石屑を噛砕いて砂利としています。覆に使用するコンクリートブロックは、ブロック製作工場似て造り、此処とコンクリート混合工場に各1基のドラムミキサーを運転してセメント砂と砂利を混合攪拌して坑内作業個所に送っています。空気壓縮機や坑内換気用の送風機及び各工場の電動機運転に要する電力は、出雲電機株式会社と供給契約を結び、北原発電所より送電するものでありまして、動力所に発電設備をなして各所に配電し、なお充電所にては発電設備をなし、蓄電池の充電と架空線式電車運転に供しています。

倉庫は受入倉庫を抗口より約3kmを距る県道仁多線に近く設け、坑口にはセメント倉庫を1棟、雑品薪炭等を貯蔵する倉庫3棟を設けてあります。火薬は抗口の西南約200mの個所に火薬庫並に電管庫を設けてここに貯蔵してあります。職員の詰所は坑口附近にありすべての指揮監督をもっています。官舎は、坑口より約3kmの下流、県道に沿った地域に設けられ、官舎26戸、合宿所1戸、共同浴場1棟が軒を並べて一理想街を形作っています。このほかに、工場上の傷病に備えるために救護所を設け、なお保安のために木次警察署より巡査の派出を請願し、詰所付近に駐在所を置いてあります。

こうした遺憾なき設備と、整然たる秩序の下に工事は着々と進捗し、寧期以上の成績を以って今日に至り、既に残すところ僅かに40mとなり、海抜2,000尺、郡境山脈の地底を貫き文化の空気を流通せしむる日も旬日の後となりました。

そしてこの小誌が皆様の手元に入る頃はここの従業員一同は双手を奉げて貫通の喜びにひたる頃でありましょう。南口(落合方)の土工工事もかなり進捗していますから目下試行中の第1工区の竣工をまって富地に蜿々たる列車を送迎し得るも近き将来であります。

本團は、この寒村に恵まれた大工事を祈念し、その實景を永遠に止め、在りし日の殷盛を物語らんがために、この1冊と編み、謹んで江湖に捧げんとするものであります。

昭和5年7月30日  久 野 労 働 團

~下久野隧道工事記念寫眞帖から

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