木次線の歴史

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【うんちく6】難工事の歩み(木次~備後落合)

難工事の歩み(木次~備後落合)

工事は関東大震災(大正12年9月1日)で一時延期されたが、昭和2年(1927)木次から三成間の第1期工事が着工された。

下久野トンネルは地盤が硬い最大の難所で、鉄道省直轄工事で行われ、多くの死傷者を出した。

5年の歳月をかけ、昭和7年月木次から三成間が開通。同年12月18日、三成町で盛大な開通祝賀式を行った。

これによって仁多町内に初めて鉄道が入り、八代、三成両駅が開業した。

『山陰新聞』の記事に次のように述べてある。

 

木次落合線第一区木次三成間開通

昭和七年十二月十八日、三成町ニ於テ、関係官民多数列席ノ下ニ感大ナル開通ノ式典ヲ挙行ス。

本路線ハ、陰陽連絡ノ大動脈ヲナス、重要ナル線路ニシテ、八束郡宍道ヨリ、広島県三次ニ至ル、第一期線工事トシテ、木次三成(延長二〇粁五三三米〇六)ノ、省線工事ニシテ、本工事ハ、去ル昭和二年三月起工シ、同七年九月竣工シタ。総工事費ハ実ニ三百三十三万二千八百九十一円ニシテ、工事進捗ニ当ツテ、地盤硬質ノタメ、全ク予想外ノ難工事デアツタ。

本線ハ嚢(サキ)ニ開通ヲ見タ、大社宮島鉄道ト共ニ、陰陽連絡網ノ充実ニヨツテ、出雲西南部、将亦、山陰文化開発ノ上ニ、旧来ノ面白ヲ一新スベク、関係地元民ハモトヨリ七十五万県民ノ喜ビハ蓋シ絶大ナルモノアリ。

 

その後、昭和9年国鉄経営後、三成から八川間が開通、昭和12年には八川から備後落合間が開通して芸備線と連絡し、木次以南の工事が終了した。

出雲三成から八川聞の工事では、経費節約上大曲経由で亀嵩地内は通過しない計画であったが、地元村民の再三の請願により大内原に停車場を設けることになり、昭和9年亀嵩駅の開通式を行った。

この大工事は11年の歳月を要しトンネルや橋などの工事中30人余の犠牲者を出した。朝鮮半島からの労働者も増加し、昭和5年29人、昭和6年134人、昭和7年160人、昭和8年235人、昭和9年447人を数えている。この人たちは鉄道敷設工事のほか、林業関係や土木関係の労働に従事し、郡内に在住した。

 

「仁多町誌」より引用

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