木次線全線開通は、簸上鉄道を国が買い上げ昭和12年(1937) 1 2月12日宍道~備後落合間省線《木次線》として陰陽の物流、人の交流の基幹としての役割を担って開通した。
簸上線当時は、蒸気機関車による客車、貨物を輸送し、SL5両で対応していた。
現在の車庫は、簸上線時代の車庫の跡地に建設されたもので、宍道~備後落合間全線開通させ陰陽の輸送の増大化に対応するため、蒸気機関車を(C5型・C11型)を投入し木次を拠点とするために建設されたものである。
車庫はおよそ高さ25m、横幅20m、奥行60mでピットを備えた4線のレベル線があり、鍛冶場や工作機械、天井クレーンを装備し検査・修繕が出来る工場の車庫である。蒸気機関車時代(昭和46年(1971)1 0月まで)からデイーゼル化時代の現在まで補修を加えながら、今でも現役で使用されている。西日本鉄道内では、現存する木造建築の車庫としては、一番古い車庫として有名である。
三新塔あきば協議会発刊「三新塔の歴史と伝承」より引用