旅行友の会とは?
増収対策の一環として、昭和29年10月石見川本駅迎合区に三江線旅行友の会が初めて誕生した。次いで昭和30年11月石見江津駅連合区に、32年には、出雲市、浜田、石見益田の各駅連合区に、さらに昭和35年4月には木次線管理所にと、相次いで旅行友の会が、旅行愛好者の参加によって結成され、団体旅行に優秀な成績をあげていた。
昭和40年7月1日 出雲大東駅 旅行団出発
昭和35年に至り、これらの組織を拡大強化して一層の増収を図るとともに、団体募集に費す職員の労力を軽減し、組織的、計画的に団体募集が行われるようにするため、米子鉄道管理局は、未組織の駅連合区にはその結成方を、また、既存の友の会はその拡充強化方をそれぞれ指導した。 一方、本局に、これら駅連合区単位に結成された旅行友の会を側面的に援助し、指導するため、局長を委員長とする旅行友の会育成委員会を昭和35年7月に設置し、ここに、旅客収入成績の向上を図る組織の確立をみるに至った。
これにより、管内の各駅は団体に関する計画から募集、さらにその実施に至るまでの一連の業務が、この組織を母体として進められるようになり、また、このような活動によって一般の観光旅行熱を刺激することにもなり、国鉄の増収施策としては、一石二鳥の効果をあげている。 旅行友の会の運営は、月掛積立制の預金を行い、これが一定の額に達したときに旅行を実施することになっており、預金の集金は各地の郵便局、銀行等が当り、役員会その他の会議費、会報(年2回程度)の費用は、局経費でまかなっている。(米子鉄道管理局史より)
旅行友の会の会員数(昭和37年10月1日現在)
地区別 | 会員数 |
鳥 取 | 2,229人 |
郡 家 | 3,217人 |
上 井 | 2,476人 |
米 子 | 6,543人 |
根 雨 | 1,222人 |
境 港 | 767人 |
松 江 | 2,475人 |
出雲市 | 2,021人 |
木 次 | 5,016人 |
石見江津 | 2,539人 |
石見川本 | 2,361人 |
浜 田 | 3,500人 |
石見益田 | 1,896人 |
東 萩 | 1,242人 |
合 計 | 37,495人 |