年代 |
出来事 |
明治29年 |
絲原武太郎(十二代目)が大社両山鉄道を設立。杵築(現・出雲市内)から赤江(現・安来市内)、米子、広島を結ぶ鉄道を計画するも、不況の影響で1898年12月に解散 |
明治42年11月7日 |
山陰本線松江~宍道間延伸開業に伴い、宍道駅が開業 |
大正2年12月 |
米子町(現・米子市)の三好栄二郎ほか33人が、簸上軽便鉄道として宍道~木次間、および幡屋村~大東村(いずれも現・雲南市)間の軽便鉄道免許を国に出願 |
大正3年1月31日 |
簸上軽便鉄道に免許が交付される |
大正3年7月31日 |
簸上鉄道が設立される |
大正3年10月1日 |
簸上鉄道が宍道~木次間の線路実測を開始。12月9日に完了 |
大正4年8月17日 |
鹿島組(現・鹿島建設)が工事請負業者となり、簸上鉄道宍道~木次間が着工 |
大正5年10月11日 |
簸上鉄道により、宍道~木次間開業(21.1㎞。T5.10.11)加茂中駅、大東町駅(現・出雲大東駅)が開業 |
大正6年6月 |
簸上鉄道が、車内に食堂を設けた「ホタル列車」を運転 |
大正7年 |
島根県・広島県が共同で、山陰・山陽を連絡する鉄道の建設を鉄道院に陳情 |
大正7年2月11日 |
幡屋停留所が開業。(1921年に駅に昇格) |
大正8年5月 |
松江市を含む1市6郡の有志350人が、陰陽連絡鉄道期成同盟会を結成 |
大正9年7月 |
第42回帝国議会で木次線の建設が採択される |
大正10年 |
第44回帝国議会で木次線の建設区間を木次~備後落合間に決定 |
大正10年5月1日 |
木次線の起工式が挙行される |
昭和2年12月 |
木次~出雲三成間が着工 |
昭和3年6月14日 |
現・下久野~出雲八代間で下久野トンネルの掘削工事が開始される |
昭和6年4月19日 |
木次線最長となった下久野トンネル(全長2,241m)の貫通式が挙行される |
昭和6年9月30日 |
木次町(現・雲南市)町長の榊原元義ほか21人の沿線町村長らが連署し、簸上鉄道を買収するよう鉄道省に請願書を提出 |
昭和7年12月18日 |
木次線木次~出雲三成間が開業。日登、下久野、出雲八代の各駅が開業 |
昭和8年5月 |
簸上鉄道が、鉄道省所属の大型貨車の直通運転を認可される。12月には客車の直通運転も認可される |
昭和9年1月 |
出雲坂根駅のスイッチバック施設設置工事が開始される。 |
昭和9年1月 |
第65回帝国議会で簸上鉄道の買収に関する法案が可決される |
昭和9年8月1日 |
簸上鉄道が国有化され、宍道~出雲三成間が木次線となる。大東町駅を出雲大東駅に改称 |
昭和9年11月20日 |
出雲三成~八川間が延伸開業。亀嵩駅、出雲横田駅が開業 |
昭和12年12月12日 |
八川~備後落合間が延伸開業して木次線が全線開通、出雲坂根駅、油木駅が開業 |
昭和19年9月21日 |
翌日にかけ、大阪市西区の小学校児童が加茂中、木次、出雲大東駅周辺に集団疎開 |
昭和24年8月1日 |
松江~木次~広島間で客車の直通運転が開始される |
昭和24年12月24日 |
三井野原スキー場に隣接した三井野原仮乗降場が開業 |
昭和26年2月24日 |
高松宮宣仁親王の三井野原スキー場来訪に合わせ、三井野原仮乗降場のホームを延長 |
昭和28年11月 |
米子~木次~広島間で快速「ちどり」週末のみ運転開始。(昭和34年に準急行へ) |
昭和29年10月9日 |
快速「ちどり」が毎日運転となって定期化 |
昭和30年12月1日 |
米子~広島間で快速「夜行ちどり」が運転開始 |
昭和33年9月1日 |
三井野原仮乗降場を駅に昇格 |
昭和33年12月 |
レールバス運転開始。(昭和40年まで営業運転) |
昭和34年4月20日 |
快速「ちどり」「夜行ちどり」をキハ55系で気動車化し、準急に格上げ |
昭和34年11月 |
木次線管理所設置 |
昭和37年1月1日 |
南宍道駅が開業 |
昭和37年3月15日 |
準急「ちどり」を「ちどり1号」、「夜行ちどり」を「ちどり2号」と改称 |
昭和38年2月5日 |
沿線16ゕ所で雪崩が発生。豪雪によ冬季期間中(全線で85ヵ所の雪崩) |
昭和38年10月1日 |
南大東駅が開業 |
昭和39年7月 |
山陰豪雨(木次駅構内、土砂で埋まる) |
昭和39年10月1日 |
鳥取~松江~木次~広島間でキハ58系気動車を使用した準急「いなば」が運転開始 |
昭和41年3月5日 |
準急「ちどり」「いなば」を急行に格上げ |
昭和42年10月 |
木次線無煙化促進。(一般気動車12両配置) |
昭和43年10月1日 |
急行「いなば」「しらぎり」を「ちどり」に統合。「ちどり」は4往復となる |
昭和44年4月 |
旅客列車全線無煙化、気動車17両配置 |
昭和45年7月1日 |
一部の急行「ちどり」に冷房車を導入 |
昭和45年8月 |
木次線管理所廃止。木次機関区設置 |
昭和46年10月 |
SL基地廃止。貨物列車もディーゼルとなる |
昭和47年3月15日 |
急行「ちどり」1往復を伯備線経由から木次線経由に変更。1往復を臨時列車に格下げ |
昭和49年11月 |
SL(C56108号)木次児童公園に移設展示 |
昭和50年12月 |
三井野原~広島~小郡(現・新山口)間でスキー列車「三井野原銀嶺1号」を運転 |
昭和55年10月1日 |
急行「ちどり」の夜行が廃止 |
昭和57年11月7日 |
木次線全線の貨物営業が廃止 |
昭和58年3月2日 |
出雲坂根~三井野原間で普通列車541D(キハ53-7号)が脱線し、崖下に転落 |
昭和58年12月31日 |
宍道駅の貨物取り扱いが廃止 |
昭和59年2月 |
急行「ちどり」のグリーン車が廃止 |
昭和60年8月1日 |
米子鉄道管理局が管内の駅販売店で「奥出雲の銘水」の販売を開始 |
昭和62年4月1日 |
国鉄分割民営化。JR西日本(西日本旅客鉄道株式会社)が木次線を継承 |
平成2年3月10日 |
急行「ちどり」の運転区間を備後落合~広島間に短縮 |
平成2年6月1日 |
全線でワンマン運転を開始 |
平成4年5月16日 |
キハ120系気動車2両(207号、208号)を導入 |
平成5年4月 |
新型気動車キハ120系、6両配置(1号~6号) |
平成6年12月 |
キハ120系気動車8両、木次鉄道部所属となる。交番検査基地となる |
平成7年8月 |
木次線継電化はじまる。(木次駅完了) |
平成8年11月 |
木次線開業80周年記念祭 |
平成9年12月 |
木次線全線開通60周年記念祭 |
平成10年3月 |
木次線全駅継電化となる。(腕木式信号機廃止) |
平成10年4月25日 |
木次線~備後落合間でトロッコ列車「奥出雲おろち号」が運転開始 |
平成12年3月 |
交番検査業務、出雲電車区へ移管 |
平成13年7月7日 |
全線がCTC化(列車集中制御化) |
平成14年7月6日 |
「奥出雲おろち号」松江から片道沿線運転開始 |
平成16年7月 |
トロッコ列車「奥出雲おろち号」乗車10万人達成 |
平成17年6月 |
車両(キハ120系)にトイレ取付工事開始 |
平成17年11月 |
木次駅3番線廃止 |
平成17年12月 |
豪雪のため、横田~落合間運休(12/22~3/29) |
平成18年10月7日 |
木次線開業90周年。翌日にかけ、木次~備後落合間で「木次線90周年記念号」が運転 |
平成19年4月 |
木次~三井野原の各駅に、日本神話の神々にちなんだ愛称が付く |
平成19年10月28日 |
木次駅で「奥出雲おろち号」の年間乗客2万人突破記念式典が挙行される |
平成19年12月 |
木次線全線開通70周年記念祭 |
平成22年4月3日 |
「奥出雲おろち号」出雲市から片道延長運転開始。(年間50日) |
平成25年5月3日 |
木次駅で「奥出雲おろち号」15周年記念セレモニー開催 |
平成29年10月8日 |
木次線開業100周年記念セレモニー開催 |
平成30年2月11日 |
木次線全線開通80周年記念「木次線の魅力発表会」開催 |