木次線に乗ろう

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木次(きすき)

〜木次線中心駅〜

木次駅(きすきえき)は、島根県雲南市木次町里方にあり、西日本旅客鉄道(JR西日本)木次線の駅です。
また駅構内には、JR木次鉄道部列車支部の車軸庫があり、木次線の基幹駅でもあります。

朝夕は通学生でにぎわうほか、トロッコ列車「奥出雲おろち号」の出発式も行われます。

木次駅構内 1番・2番・3番ホーム
木次駅構内 1番・2番・3番ホーム

木次駅2番ホームから日登方面への眺め
木次駅2番ホームから日登方面への眺め

キハ120系車両の到着
キハ120系車両の到着

木次駅を発車するトロッコ列車「奥出雲おろち号
木次駅を発車するトロッコ列車「奥出雲おろち号

奥出雲おろち号

木次駅前にある雲南市観光協会。駅に到着したら、まず観光協会へ!
雲南市観光協会ホームページ
雲南市観光協会FaceBookページ
【問】 TEL(0854)42-9770 FAX(0854)42-9771

木次線管内の18駅

木次の町を流れる斐伊川(ひいかわ)流域には、大蛇伝説がたくさんあります。
「湯村の天ケ淵(あまがふち)は、大蛇が住んでいた淵」、「西日登の印瀬(いんぜ)にある壷神さんは、大蛇が飲みほした酒壷」、「里方の八本杉(はっぽんすぎ)は、大蛇の角を埋め、そこに杉の木を植えたもの」と伝えられています。

木次駅にある3つの神話ストーリー

素戔嗚尊と奇稲田姫との出会い
「素戔嗚尊と奇稲田姫との出会い」

素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、高天原(たかまのはら)から出雲の国の鳥上の峰(船通山)に天降(あも)り、簸(ひ)の川のほとりまで来た時、悲しみ泣いている声を聞きました。
その声の方を訪ねていくと、翁(おきな)と媼(おうな)が一人の姫を真中において泣いていました。
素戔嗚尊が訪ねていわれるのに、「お前たちは誰か。どうしてこんなに泣いているのか」と。翁は「私はこの国に住んでいます。名は脚摩乳(あしなづち)といい、妻は手摩乳(てなづち)といいます。この姫は、私共の子で、名は奇稲田姫(くしなだひめ)といいます。泣いているわけは、以前私共には八人の娘がありました。
毎年八岐大蛇(やまたのおろち)のために呑まれました。今この娘が呑まれようとしています。しかしのがれる方法もありません。それで悲しんでいるのです」と話したそうです。

「素戔嗚尊の八岐大蛇退治」
「素戔嗚尊の八岐大蛇退治」

素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、奇稲田姫(くしなだひめ)を助けるため、八岐大蛇(やまたのおろち)退治を決意し、脚摩乳(あしなづち)・手摩乳(てなづち)に、「八塩折(やしおり)の酒を造り、その酒を盛りて待てよ」と言われ、八つの壷に八塩折の酒を入れて待っていました。

そのうちやはり大蛇がやってきた。頭と尾がそれぞれ八つあり、目は赤酸漿(あかほおずき)のようである。松や柏が背中に生え、八つの山・八つの谷のj間に広がっていた。

酒を見つけると、頭をそれぞれの壷に入れて飲んだ。やがて酔って眠ったので、素戔嗚尊は、腰にさしていた十握(とつか)の剣をぬいて、ずたずたにその蛇を斬った。

尾を斬るときに剣の刃が少し欠けた。そこでその尾を裂いてごらんになると、その中に一つの剣があった。素戔嗚尊がいわれるに、「これは、不思議な剣である。私はどうして私物にできましょうか」といって、天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上された。剣の名は天(あま)の叢雲剣(むらくものつるぎ)である。

現在は、草薙剣くさなぎのつるぎ)として皇位の継承として歴代の天皇が受け継いできた三種の神器の一つである。

「素戔嗚尊の奇稲田姫との結婚」
「素戔嗚尊の奇稲田姫との結婚」

素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して奇稲田姫(くしなだひめ)を救い結婚の約束をされた。そして結婚の約束をされた。
そして結婚によい所を探されました。ついに須賀(すが)に着かれ、そこで、「ああ、私の心はすがすがしい」といわれました。そして、そこに宮を建てられました。
そのとき素戔嗚尊は、「八雲立つ、出雲八重垣、妻ごみに、八重垣つくる、その八重垣を」と口にされました。
これがのちに言う三十一文字(みそひともじ)、五・七・五・七・七という日本初の恋歌でありわが国の和歌のはじめと言われています。

木次駅周辺のおろち神話名所

  • 「天が淵」
    斐伊川の上流、木次町と吉田町境にある天が淵は、八岐大蛇が住んでいたところだといわれています。
  • 「八本杉」
    スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、その八つの頭を埋め、その上に八本の杉を植えたと伝えられます。この杉は、長い年月の間、斐伊川の氾濫によって幾度も流失しましたが、その度に補植され、現在の杉は明治6年(1873年)に植えられたものといわれています。
  • 「印瀬の壷神さん」
    印瀬の八口神社(やくちじんじゃ)の境内にある壷は、スサノオノミコトがオロチ退治の時に「八塩折の酒(やしおおりのさけ)」を入れた八つの壷のうちの一つと伝えられ、「壷神さん」として祀られています。この壺には「昔壷に触れたところ、俄かに天がかきくもり、山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じ、神に祈ってようやく静まった。」という伝承も残ります。
  • 「八岐大蛇公園」
    スサノオノミコトは高天原(たかまがはら)から鳥上の峯に天降ったあと、斐伊川の上流から箸が流れてくるのを見つけ、川上に人が住んでいることを悟ったといわれています。この箸を見つけ、拾った場所が木次町新市の地であったと伝えられ、公園内にスサノオノミコトとヤマタノオロチが対決した場面を再現した石像と、「箸拾いの碑」が建立されています。
  • 「河辺神社」
    スサノオノミコトの妻、クシイナダヒメが懐妊されたとき、産湯に使う良い水を探し求めたところ、「甚く久麻久麻志枳谷なり(いたくくまくましきたになり)」と仰せられ、河辺神社を御産所に定められたといわれています。「久麻久麻志枳谷」は奥まった静かできれいな谷という意味であり、これから熊谷(くまたに)という地名がついたといわれ、「熊谷(くまがい)さん」と呼ばれる産湯に使う水を汲んだ井戸の跡も残されています。
  • 「温泉神社」
    天が淵の近くにある万歳山(ばんざいさん)にクシイナダヒメの両親、アシナヅチ、テナヅチが住んでいたといわれ、この山腹にあった二人を祀る神岩が、現在、温泉神社の境内に安置されています。
  • 「長者の福竹」
    アシナヅチ、テナヅチとクシイナダヒメは、ヤマタノオロチの危害から逃れるとき、この地に立ち寄り休憩されました。使っていた竹の杖を地面に立てたところ、杖から根が出たことから「長者の福竹」という地名になったといわれています。また、登った山の峰は「伴昇峰(ばんしょうがみね)」と呼ばれています。
  • 「大森神社」
    スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治してクシイナダヒメを救い、結婚の約束をして須賀の地へ向かう途中、大森の地にしばし宿られ、婚儀の準備をされたといわれています。
  • 「釜石」 「布須神社」
    御室山(みむろやま)にはスサノオノミコトとクシイナダヒメを祀る布須神社(ふすじんじゃ)があります。その麓にある岩は「釜石」といわれ、スサノオノミコトがオロチ退治のときに「八塩折の酒(やしおおりのさけ)」を作らせた釜跡であると伝えられます。
  • 「佐世神社」
    ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが、佐世の木(ツツジ科の植物)の葉を頭に挿して舞を舞っている時に、その枝が地に落ちたことから「佐世」という地名になったと伝えられています。佐世神社には、その枝が成長したといわれる巨木が残ります。
  • 「草枕」
    斐伊川と赤川の合流点に近いところに位置する草枕山は、八塩折の酒(やしおおりのさけ)を飲んだヤマタノオロチが苦しんで枕にして寝た山であるといわれています。赤川は安政年間まで草枕山を迂回して斐伊川に注いでいましたが、度重なる水難のため山を真二つに切り開き流れを変え、現在に至っています。
  • 「八口神社」
    スサノオノミコトは草枕山に近い「八口神社」から矢を射て、ヤマタノオロチを仕留めたと伝えられています。
  • 「尾留大明神旧社地」
    スサノオノミコトは、この地でオロチの尾を開いて「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」を得られたと伝えられています。「天叢雲剣」は、またの名を「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」ともいわれ、三種の神器の一つとして熱田神宮(名古屋市)の御神体として祀られています。
  • 「石壷神社」
    石壺神社の境内社である「尾呂地神社」(おろちじんじゃ)には、スサノオノミコトによって切り落とされたヤマタノオロチの尾が祀られています。

周辺スポット

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